<<戻る今回は、『前回の序文の続き』(30P〜49P)です。
では感想再開致します。m(__)m
今回は『ヘス』と言う人間について、
編者の見方が書かれています。
まず、ただ『大量虐殺』という結果から人間性を推察し、
短絡的に「生来残忍な性格であったに違いない!」とするのは
大きな過ちであると言っております。
確かに何も考えていない自分は誤解しそうです。^^;
むしろ「彼は秩序を好み、家族を愛し、自然を愛し、
動物を愛する心を持っていた」とさえ言っています。
なにやら自分より遥かに善良に部類される人間の模様です。^^;
しかし、そんな人間も、仕事として、むしろ積極的に、
大量虐殺に加担してしまう事の
その『構造』こそが問題みたいです。
人を組織の歯車と見るとき、
そんな人の性質も『虐殺システム』の
歯の一つとして噛み合うところもあるという事でしょうか?
単純に捕まった人間をただ「極悪人だから」と
それを唯一の理由と思うのでなく
(責任追及しないという事ではなく)、
倒錯した価値観構造の下に生き続ければ、
人間とはそれに順応していき、
『その中での正しさ』が優先させるのではないか、
という事の一つの証明なのかもしれません。
これは今でも当てはまる所は
あるかもしれませんね。
自分なんかは直組織に染まる事でしょうし。^^;
また、ましてやヘスの属する
「チュートン人(ゲルマン民族の一部族)が野蛮だから起こった」
などと解釈すれば、大きく判断を見誤る事になると言っております。
つまり、その考えこそがナチズムに似通った思考であると。
『暴力は良くない』という訴えを
暴力的に行ってもあまり自覚がないのも人間なのかもしれませんが、
そんな自分のような人間では良くないのです。
無慈悲な処刑を推奨していたヘスの上官は、
ヘスを高く評価していたみたいです。
その上官は、個人的な「快楽の為の暴力」や
「恣意的理由の暴力」は、『その者の弱さ』と見なし、
黙認はしていても、それは理想とするものではなかったらしいです。
求めていたのは、『組織の命令』としてなら
どんな無慈悲な事も躊躇い無くするが、
『自己を抑制』することも出来るヘスのような人間だったとの事。
ヘスは虐殺した人達を有害人種と信じてしまったみたいです。
またそう教育されたようです。
疑問を抱く想像力すら持たず、
ただ権威を盲信する人間となったみたいです。
だから彼にとっては収容所の処刑は、
ただの私利私欲の殺人とは違って、
『崇高な物』と認識されたらしいです。
そして彼には独善的な側面もあったと述べられております。
自分に懐いていたジプシーの子供達を殺さなければならなくなった時、
彼は「これほど難しい事は他にあるまい」と感傷的になっていたが、
その事が、
「ユダヤ人の特殊部隊に同じユダヤ人を虐殺させる」事に対して、
その殺した側のユダヤ人を
辛辣に批判することを妨げる理由になっていなかったとか。
ちょっとややこしいですが、
つまり、自分のした事は「つらいがこれも任務…」
しかし、一方「あいつらは自分の民族を殺して最低の民族だな」
と思ったわけです。
自分のした事は仕方の無い『事情』と考えるが、
相手のしている事は野蛮な『性質』と解釈した訳です。
そして
「厚かましくも彼は道徳的な立場にいようとした」と
書かれています。
まるで自分のような人間です。
要は道徳的観念を持ち合わせているけど、
その観点から人を責め立てるけど
『自分を省みる事は無い』という事でしょうか。
ただ、持ち合わせているだけ自分よりマシです。
まぁそういう立場に置かれれば人間は
そうなってしまうという事かもしれませんね。
そして『真実を告白して懺悔する』と
いう意識の本ではないみたいです。
そしてかなり美談化されているらしいです。
無批判だと虜になる『独善のパトス(情熱)』なる危うさも
あるらしいです。
そして彼は個人的な関係を持つ事に抵抗があり、
組織下で任務や仕事を与えられ、
それをこなす事が喜びとなる人だったようで、
手記を書く『機会を与えられた』というのも、
拘留を楽にしていたとの事です。
『動物を愛する心』なども人間との個人的な関係を避けた結果、
代わりに自らが愛情を注ぐ為の都合よい対象が動物だったと
いう事らしいです。
しかしこの編者さんは、
凄く論理的に物事を考えられる人みたいです。
自分とは大違いです。^^;
と、今回はここまでです!
ようやく序文終了!
感想を書こうとすると、
『内容を理解しよう』としますので、
自分にとってはいいですね。^^;
しかし速読できる人は凄いですね。
自分など何度も立ち戻るくらいしないと分からないくらい
理解力がないです。
それではそんな読解力0の人間ですが、
今後ともどうかよろしくお願い致します!m(__)m
>>次へ